::【9】 ペヤング先生

デイビット・クルサード

デビッド・クルサード
David Coulthard

イギリス(スコットランド)人の元F1ドライバー
通称:DC。 愛称:ペヤング先生(日本の一部限定)


レッドブルの恒例、日本GP直前イベント、
2009年は大阪城公園と鈴鹿市内でF1マシンをデモ走行させるという。
F1マシンがサーキットを飛び出し、身近にその迫力を体験できる素晴らしい機会。
大阪城のほうはクルサードがドライブする。



1991年イギリスF3でランク2位(バリチェロがチャンピオン)、
その年のF3世界戦であるマールボロマスターズF3とマカオGPで優勝。
92~93年は国際F3000で上位ランカーとして活躍。

ウィリアムズのテストドライバーを務めていた94年、
アイルトン・セナの事故死によりレギュラー昇格のチャンスを掴む。
ただし、INDY CARに転向した元F1王者N.マンセルが優先で、
マンセルがINDYのスケジュールで乗れないレースを
クルサードが担当する形となった。
そのような不安定な起用のされ方でもチームメイトのD.ヒルより
速い印象を与えていたのを覚えている。
95年からマクラーレン移籍を画策するも、
ウィリアムズの契約が尊重され、ウィリアムズ残留。
95年シーズンは初優勝を挙げたものの、クルサード、ヒル、ともにミスが目立ち
ベネトンのM.シューマッハの独断場となってしまった。

96年、晴れてマクラーレンに移籍。チームメイトはM.ハッキネン。
マクラーレンのマシンが戦闘力を発揮した98年からは
ミカの後塵を拝すことが多くなり、セカンド・ドライバーという印象になっていった。
92年、休養(そのまま引退)のミカに代わってチームメイトはK.ライコネン。
キミとの初年度はポイントで上回るものの、
やはりライコネンのセカンドという印象になってしまった。

05年からモントーヤがマクラーレン入りすることとなり
クルサードはレッドブル・レーシングに移籍。
トップチームだったマクラーレンから格下のレッドブルへ。
しかし、この移籍以降クルサードはグランプリにおいて
マクラーレン時代になかった強い存在感を発揮するようになり、
僕の感じるところ、面構えが明らかに良くなってきた。
この人の顔を描きたいと思うようになり、07年に描いたのがこの作品。
この頃からファンの間でも「先生」と呼ばれるようになった。
"ペヤング先生、顔は四角いけど走りはまろやか"

だが07年シーズン終盤~08年、
背後から来るマシンと接触するケースが目立つようになってきた。
先生はちゃんとミラーが見れてない、そう感じることが多くなった。
アスリートが年齢的に衰えてくる時、目から、という人が多いらしい。
衰えが目にきたのか?、と思ったのだが、
小倉茂徳氏の解説によると、レッドブルのマシンは空力的事情で
バックミラーが外側についていて、ドライバーから見づらいはず、とのことだった。
いずれにせよ、ペヤング先生は08年シーズンで現役引退を発表した。

(2007年制作)

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