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::【22】 西郷隆盛

西郷隆盛

西郷隆盛

幕末の武士(薩摩藩士) 明治初期の軍人、政治家。



西郷どん、通称吉之助。

薩摩藩の下級武士の生まれであったが、藩主島津斉彬にその才を見いだされ、
斉彬の側近に取り立てられ、直接薫陶を受け、
斉彬の参勤交代に際しては江戸詰め、お庭番として江戸に赴いた。

将軍継嗣問題では一橋慶喜擁立を画策する斉彬の手先となり、
当時の第一級の人物たちと交流を持ち情報交換した。

斉彬急死後、斉彬の異母弟で事実上の藩主となった島津久光とは折り合いが悪く、
役を解かれ島流しにもなったが、
盟友の大久保利通、家老の小松帯刀らの強い後押しがあり帰藩。
このことからもすでに隆盛は藩内外で圧倒的なカリスマ性、
指導力を持った存在として見られていたことがわかる。

薩摩藩は、禁門の変、第一次長州征伐までは幕府側に立ったが
それ以降、隆盛は倒幕派の指導者として、
長州藩と同盟し、王政復古、戊辰戦争を進めた。

戊辰戦争終了後、倒幕という目的が達せられたので
維新政府のことは盟友大久保、長州の木戸、公家の岩倉らに任せ
薩摩に戻ったが、
維新政府より強く請われて上京、
新政府の参議となり、廃藩置県など大仕事を遂行。
ところが征韓論争(明治6年の政変)で破れて下野、
再び薩摩に帰り鹿児島で私学校を設立。
それまで特権階級であった武士(士族)にとって不利益になる政策を断行する際、
西郷の圧倒的カリスマ性や指導力が必要とされた、ということだろう。

明治10年、不平士族に担がれ、鹿児島で決起、
西南戦争を起こし新政府軍に破れた。
時代にとって、まるで西郷の役目は済んだがごとく
旧時代の不平士族もろとも消えていった、そんな感じを受ける。
だからこそ、明治政府にとって大の功労者であるけど、
反乱者でもあるにも関わらず
地元鹿児島だけでなく東京上野にも銅像が建立されたのではないだろうか。

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